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BLACK MARIA 公演評

公演評:長谷川六

(音楽舞踊新聞2015年7月15日号)

『 BLACK MARIA 』

(IDTF 国際舞台芸術祭プレイベント、シアターΧ+ Ttt IDTF 『TRY TO THE IDTF』参加作品)

5月13日シアターX

 薄暗い、シアターXの、なにもしつらえていない舞台に、女性が突如現れる。何もない暗闇から突然人間が見えることの、驚異あるいは恐怖を抱かせる登場である。  舞台公演を見に行くということは、予告された日時にそこに行き、どのような作品と出会うのか、それは何を自分にもたらすのか、どのような時間を過ごすことができるのかを期待しつつ開演を待つのだが、15分という制限時間を待つこの企画公演では、15分で時間がぶった切れる感じで彼らの登場を待つことになる。そして少し長い交代時間だな、と感じさせたその時はすでに睦美は舞台にいたという仕掛けなのである。  睦美は、白っぽいガウンを羽織り、直立し、または歩きを入れて動く。もやっとした空間にやっと人がいると感じさせる...のみだ。それはほんの数分のことだが、直立する人体の、解き明かすことができない存在が不安を感じさせるようになったとき、上手から寧呂がいざりながら出てくる。背中に突起があり想像するに容易な在りかたである。  寧呂の存在が認定されたその時、直線の指令を受けたかのように睦美はルルベをする。直立した。   ままの状態から全く腕を動かさずにおこなったルルベは、バレエの持つ優雅さなどみじんもなく、恐怖の支配者存在を感じさせ、かすかに始まるパ・ド・プレがその雰囲気に拍車をかける。2者の関係がそこで見えてくる。  睦美は大きく腕をあげ、マントをひるがえしながらパ・ド・プレをつづけ、おりてまた爪先立ちにかえる。寧呂は常に地に近く、中央にあっても重厚な空気をまとい飛翔とは無縁な身体を晒す。  征夷するものと征夷されるという関係が観客に理解される。  しかし、その関係はそれだけではなく、人間関係のさまざまな風景が見える。睦美はほぼ直立、爪先から頭のてっぺんに巨大な針が刺さったようにまっすぐで、寧呂は塊であり続けた。しかし、その関係は甘く暖かい。  睦美・寧呂は、大野慶人に師事した。睦美はバレエ出身、寧呂はオーガニックマイミストでもある。  多言語的な展開を予想させるこの作品は、2人のそれぞれバックグラウンドも寄与しつつ、2者の関係のみならず、世界に広がる舞踏に一石を投じることになるだろう

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